3ヵ月間のアフリカ大陸(東側)縦断の旅で、幸いにも事前にイメージしていた様な「大きなトラブル」には一度も遭わなかった。
強盗や盗難に遭ったり、交通事故に遭ったり、アフリカならではの病気に罹ったり…。
そういう事が一切ないまま「平和」に旅を終える事ができたのはラッキーだった。
そんな私が体験した、ちょっと困った「プチ・トラブル」について。
私が訪ねた10ヵ国
エジプト・スーダン・エチオピア・ケニア・タンザニア・ザンビア・ボツワナ・ナミビア・南アフリカ共和国・レソト
もくじ
第5位|アフリカ大陸、入るときも出るときも「搭乗拒否」に遭いかける
アフリカ大陸内での移動は全て陸路だったため問題なかったのだけど、大陸に入るときと出るときはもちろん飛行機を使った。
そのどちらも、出発の空港で揉めてしまう。
まずは、フィリピン(マニラ)の空港にて。
クウェート経由でエジプト(カイロ)に行く為に、フィリピンのクウェート航空のカウンターに並んだ時の話。
予想はしていたのだけれど、「帰国の航空券を持っていない件」が問題になってしまう。
エジプトから日本へ帰る航空券はもちろん持っていないし、アフリカ縦断が終ったあとに日本へ飛ぶ航空券も、アフリカの次に行く予定だった南米への航空券も持っていない。
アフリカに知り合いがいるわけではなく、「女ひとり」で旅をすることに関しても「心配です」という理由で難色を示される。
(有難いけれど、そんな感情論で搭乗拒否はしないで頂きたいよね…泣)
エジプトから南アフリカまで、陸路で通過予定の全ての国を申告して、「何があっても航空会社に責任は問いません」という誓約書を書き、ようやく搭乗券を発券してもらう。
クウェート航空、まさかの搭乗拒否!?そして始まる、私の世界周遊記
そして、南アフリカ共和国(ヨハネスブルグ)の空港にて再び。
エディハド(アラブ首長国連邦)経由でネパールに行くフライトに乗るために、ヨハネスブルグのカウンターを訪ねた時の話。
「ネパールを出国する航空券を持っていない件」については、説明すれば問題はなさそうだった。
(この時は、陸路でインドへ抜ける予定と説明)
だけど「ネパールのビザを持っていない件」が、問題になってしまう。
ネパールは、普段であればアライバルビザ(到着時に空港で取得するビザ)を取得できる。
だけどコロナウィルスの影響で、日本人へのアライバルビザの発給が停止となったのだ。
この時点では、日本・中国・韓国・イタリア・イランの5ヵ国の国籍を有する者が、アライバルビザ発給停止の対象だった。
まだまだ、コロナは「一部の国」のみ恐れられていた時期。
アライバルビザが発給停止になるのは、3/10から。
この日は3/5だったので問題ないはずなのに、「日本人はアライバルビザが取れない!」の一点張りで、搭乗を拒否されてしまう。
私もそれでは納得がいかないのでカウンターで粘り続けたところ、なんとか搭乗券を発券してもらう事ができた。
さらばアフリカ大陸!突然のインドのアライバルビザ発給停止で、インド入国を断念
空港で揉めるのは割とあるあるで、アフリカ旅に限った事ではないのだけれど。
陸路メインの旅スタイルの場合…たまにしか乗らないはずの空港で毎回揉めるのは冷や冷やする。
第4位|ダフラ・オアシス(エジプト)の宿を追い出されて警察を呼ばれる
この見出しタイトルだと、まるで私が悪いみたいだけれど、私は全く悪くない。
エジプトの西方砂漠のオアシスの町ダフラ・オアシスでの出来事。
深夜に到着して、目星を付けていた宿にも泊れずに困っていたら、親切な人がエジプト人向けの安宿に連れていってくれた。
チェックインの時、宿のオーナーから忠告を受ける。
「出かける時は、必ず1人で出かけて下さい。誰とも、一緒に行動しないでください。」
「この男は私の弟ですが、彼は旅行者に対してトラブルを起こす男です。決して、彼の言葉に耳を傾けないでください。」
その「弟」は、私を彼と関わらせない様にする「兄」の態度に怒り、アラビア語で激しい剣幕で怒鳴り続けていた。
もうこの時点で面倒な宿確定だったのだけれど、他に行くところもないのでここで夜を明かす事にした。
私が部屋に入ってからも、弟の怒鳴り声が、しばらく響き渡っていた。
翌朝、宿のオーナ(兄)の「父」が出てきて、私に「今すぐこの宿から出ていけ!」と激しい口調で訴える。
話を聞くと、「宿のオーナ(兄)も、その弟も信用できない人間だから」と。
トラブルに遭う前に出ていけという事らしい。
「兄も弟も危険だから今すぐ出ていけ!」と怒鳴る父。
「兄は危険だ!ツーリストオフィスに行こう!」と喚く弟。
「大丈夫だよ、気にしないでいいよ」と冷静な兄。
その現場は、カオスだった。
そして、その信用できないはずの「弟」に何故か警察を呼ばれ、事情を説明。
(なぜ警察を呼ばれたのかは、流れ的にも全くの謎…笑)
警察の付き添いの下、昨日は満室と断られた宿にタクシーで向かい、そして無事にチェックイン。
なぜ警察が宿まで付いてきたのかも謎。
警察がタクシー代を払ってくれて、そして移動先の宿のスタッフに何故かお金を払ってから去っていったのだけれど、それも謎。
謎だらけの出来事だった。
白砂漠を見て、次の町ダフラ・オアシスへ ~ダフラの泊まってはいけない宿~
ダフラ初日、朝から警察沙汰になるなんて予想外&迷路都市「カスル」でお散歩
第3位|凶悪都市「ナイロビ」に深夜に到着!
(写真はエチオピア側の国境の町)
越えてはいけないと言われているエチオピア-ケニア間の国境「モヤレ国境」を越えて、凶悪都市ナイロビに深夜に到着した時の話。
ちなみに、この国境を越えてナイロビに至るまでのルートは、何度かバスがテロリストに襲われた過去がある。
私がアフリカ大陸を縦断するにあたり、最も恐れていたルート。
安全の為には通るべきではないし、私は「陸路縦断」を達成するという自己満足のために通っただけなので、あまり褒められた行為ではないという事は、ひとこと添えておきたい。
そんな恐ろしいルートを無事に通過してたどり着いたのは、ケニアのナイロビ。
ナイロビは「凶悪都市」と恐れられている都市で、そんなナイロビの中でも更に危険な「ダウンタウン」の宿に向かわないといけない。
後に実際にナイロビ市内を歩いてみて、事前情報で恐れていたほど「凶悪」でもないなと感じる事になるのだけれど、もちろんそんな事は、この時の私は知る由もない。
しかも、この時は深夜2時。
恐ろしい事この上ない。
その上、私はケニアの通貨を持っていなかった。
どうしようかと途方にくれていたら、親切な青年が、私の米ドルとケニアの通貨シリングとを交換してくれた。
その上、タクシーよりも安全に移動できる様にウーバーを呼んでくれて、ウーバー運転手に行先の説明までしてくれた。
その間に、怪しい男が私が座っている車に乗り込んでこようとしたりと、ちょっとドキドキするイベントを挟みながら。
そして到着した、深夜のナイロビのダウンタウン。
目当ての宿「ニューケニアロッジ」の扉は鉄格子になっていて、南京錠でしっかりと施錠されていた。
扉を叩いたり声をかけてみても、誰も出てきてくれない。
時刻は深夜の3時過ぎ。
仕方がないので、宿の前で闇に紛れながらの「半野宿」を決める。
誰にも見つかりませんようにと祈りながら。
間もなく
、幸いにも宿に戻るスタッフらしき人物が現れて、一緒に中に入る事ができた。
後にそのエピソードを人に話したら、「あの場所で野宿なんてありえない!」と叱責されてしまった。
私は寝ている人に配慮して、大声をあげたりは出来なかったのだけれど、あの場合は何が何でも中に入れてもらうべきだったと。
何もなかったから呑気に話せるエピソードだけれど、実際は綱渡り的な危ない行動だったみたいだ。
【陸路国境越え】エチオピアからケニアへ|モヤレ国境を越えて、深夜のナイロビへ
第2位|ケープタウンのローカル列車で遭遇した人身事故
ケープタウンのローカル列車に乗って、郊外へ行った時の話。
帰りに再び駅に戻ったときに、それは起きてしまった。
その列車は、中に乗り切れないほどの人で溢れていて、窓枠に足を掛けて身体は外に乗り出していたり、列車の連結部分の突起を利用してしがみ付いていたりなど、「列車の外側」も人で溢れていた。
そして、その「外側の乗客」の一人が、転落して轢かれてしまったのだ。
その時に作られた駅のホームの異様な空気感と、半部に引き裂かれた男性の身体の光景は、今でも忘れられないトラウマになっている。
人が亡くなる現場に居合わせるのは、辛すぎる。
ケープタウンのローカル列車の危険性|アフリカ旅で、最も衝撃的な気分の日
第1位|ゴンダール(エチオピア)での敗北
エチオピアに入国して1都市目のゴンダール。
入国後、わずか2日目。
少し薄暗い宿への帰り道、正面から男性が歩いてくるのが見えた。
わずか2日間で、この町の男どもの「うざさ」に辟易していた私は、絡まれない様に目を伏せて歩いていた。
すると、その男に道をふさがれ、避ける間もなく抱き着かれて胸を触られる。
私が怒りを表すと、「なんだよ~、ただ君と話したかっただけなのに~笑」とヘラヘラしながら去っていった。
すれ違う男どもがうざいのにプラスして大胆な痴漢に遭ってしまったので、入国2日目にしてエチオピアが嫌いになったのだけど、こんなのは序の口だった。
翌日、気を取り直して観光にでも行こうと「ゴンダールの城」というところに行ったのだけれど、そこで荷物検査をしてくれた女兵士に足を踏まれる。
思わず「痛いっ!」とのけぞる私を見て、その女兵士はくすくすと可笑しそうに笑う。
後ろで見ていた男兵士2人組も、ゲラゲラと笑いながら「チャイナチャイナ♪」と嘲笑。
悔しすぎる。
もうこんな町は嫌だ…そうだ、絶景の宝庫「ダナキル砂漠」に行って、癒されよう!
そう切り替えて、次の町へのバスチケットを探しに行く。
だけど、バス乗り場のカウンターで尋ねるも、取り合ってもらえない。
カウンターの女性は、一切言葉を発せずに、物凄い形相で私を睨みつける。
カウンターの傍でたむろしていた4~5人の女性グループに、嘲笑される。
「チャイナ~♪♪」
「ノーイングリッシュ♪ノーイングリッシュ♪」
「ぎゃはははは~♪♪」
悔しすぎる。
「男性がうざい」というのは、ある程度は仕方がないと思っている。
女ひとり旅である以上は。
だけど、「同じ女性に侮辱される」という経験は、私には耐えがたかった。
これが、エチオピア1都市目、入国後わずか3日目の出来事だった。
これを「文化の違い」として受け入れるのは、未熟な私には到底無理な話で、その後この気持ちを覆すほどのステキな出来事にも、この国では出会えなかった。
私はエチオピアという国に、完全に敗北してしまったのだ。
エチオピアという国に敗北した日|アフリカ大陸縦断旅行、断念の危機が訪れる
アフリカで体験した「プチ・トラブル」まとめ
結局無事に切り抜けられたのだしと、今ではただの緩~い雑談話になっているエピソードもあれば、未だに忘れられないトラウマなエピソードもあるけれど。
だけど生命を脅かされるほどの出来事や、旅の続行に関わる出来事はなかったので、結局アフリカ旅全体としては「楽しい旅だった」というイメージで終える事ができた。
それが何より。
そうじゃなければ、「アフリカなんか二度と行くか!」と思うだろうし、アフリカを知らない人に対しては「アフリカは危険だよ!」と、とんでもない風評被害をまき散らしていた事だろう。
そうならなくて良かった。
前回書いた通り、「治安が悪い」と感じた都市も確かにあったけれど。
アフリカ大陸縦断旅|10ヵ国の中で感じた「治安の悪い都市」ベスト5
それでもアフリカは、素敵な出来事に溢れている場所なのだ!
…という記事も、ちゃんと書かなくてはね。