ポカラ(ネパール)-Pokhara-
ある日突然にロックダウンが始まり、「帰国難民」となって約5ヶ月と2週間。
ロックダウン前の滞在を含めると、約6ヵ月もの間ネパールで過ごしていた事になる。
そして、そんな終わりの見えない日々も、どうやらようやく終わろうとしているみたい。
「旅」ではなく「生活」をしていたネパールでの日々。
それは「日常」だったのか、それとも「非日常」だったのか。
▼前回のお話し▼
ポカラからカトマンズへの移動準備|通行許可証の取得とタクシーの手配
大好きなレストラン|HIMALAYAN CUISINE RESTAURANT
帰国が決まり、1週間後のフライトに乗らなければならないので、残りの日々は「馴染みの店巡り」で大忙し。
最終日の夜は行けるかわからないので、大好きなレストラン「HIMALAYAN CUISINE RESTAURANT」にはポカラを去る4日前に余裕を持って訪問。
ここは、ロックダウン初期からお世話になっていたレストラン。
食べられるものが限られている状況の中で、「パンケーキ」や「ピザ・パスタ」などの西洋料理も提供してくれた。
ローカルレストランでも外国人向けのレストランでもない、ローカルと外国人客の両方に親しまれている不思議なお店。
私の斜め前の部屋に滞在中のアメリカ人も、毎日ここに来ている。
私たちが去る2週間ほど前に、店舗が移動したばかり。
今までは「隣の通り」だったのが、私たちが滞在している「7番通り」に引っ越して来たのだ。
残念、、もう少し早ければ、もっと通っていたのにな。
新店舗での、最初で最後の食事。
照明が可愛いな~♡
「この照明好き?」って奥さんに聞かれて、「好き♡」と答える。
「前の店舗の照明も好き?」って聞かれたから、やはり「好き♡」と答える。
そうしたら、あと数日でポカラを去る私たちへの餞別も兼ねて、前の店舗で使っていた照明をプレゼントしてくれた。
え~!?
嬉しすぎる…涙
1つ1つに明かりを灯して、じっくりと選ぶ。
選びやすいようにと気を利かせて、店内を暗くしてくれた。
私はこの、1番最後の「ピンクの葉っぱ柄」を選択。
嬉しい。
日本に帰ったら、速攻で使わせて頂こう。
そして最終日の夜。
ご飯を食べる時間は作れなかったのだけれど、チャイだけ飲みに再び訪問。
最終日の夜は酷く嵐の様な大雨で、タクシーで向かっても大変な移動だった。
深夜に滝の様な大雨が降る事は何度もあったけれど、外出中に遭遇した中では1番の悪天候だったかもしれない。
なにこれ、台風直撃!?
と思うような、日本だったら「ウン十年ぶりの記録的豪雨です!」と報道されてしまうレベルの天候だ。
タクシーを降りてお店に入るまでの数メートルでもびしょ濡れになる。
そんな状況の中で、最後の挨拶に訪問。
お店は、停電をしていた。
それでも沢山のローカル客と外国人客で賑わっていたのだから、とても愛されているお店なんだな~。
私たちの為に、1番大きくて立派なキャンドルを灯してくれた。
ポカラ最終日。
キャンドルが灯る、少しロマンティックな夜。
初めて会うスコットランド人の男性が、私の「左手の薬指」に指輪をはめる。
…って、、えぇ!??
わたし、男性から左手薬指に指輪をはめてもらった事なんて1度もないのよ!?
とっても大切に守っている指なのよ!?(←嘘)
あぁ、こんなところで、思いがけず「左手薬指のバージン」が奪われてしまったよ。
そんなハプニング(←大袈裟)も、後に振り返れば良い思い出になるのだろうか。
ちなみに、このスコットランド人(←酔っ払い)は、キャンドル越しに指輪の写真を撮ったら凄く綺麗だよとお勧めしてくれた、ただの良い人。
そして、お店のみんなと写真を撮って、今度こそ本当にお別れ。
私、自分から「一緒に写真を撮りたい」なんて口が裂けても言えないほどのコミュ障だったはずなのだけれど、どうしても一緒に撮りたくてオズオズとお願いをして、そして快く撮って頂いた。
それくらい、大好きな人たち。
ポカラ、最後の晩餐は宿のダルバート
こちらも同じく停電をしている、約5ヵ月と2週間滞在した宿「ペンギンゲストハウス」にて、最後にダルバートをご馳走して頂く。
収入が減ってきっと困っているはずなのに、無償で振舞ってくれた。
ペンギンゲストハウスのダルバートは、家庭で振舞われるダルバートとしてはおかずの数が多い、立派なダルバート。
一般家庭では、ダル(豆のスープ)、バート(米)、タルカリ(イモのおかず)だけのシンプルなものが多い。
プレートに沢山おかずが乗っているダルバートは、特別な時か、もしくはきちんとした(?)レストランのみで食べられる。
最後にはダルバートが食べたいなと思っていたし、とても嬉しい。
そして、とても美味しい。
ありがとう♡
荷造りに大忙しの夜
毎日宿を変えながら移動するバックパッカーにとって、パッキングなんてものの数分でできるルーティン作業のはずなのだけれど。
5ヶ月以上も同じ宿で「生活」をした後のパッキングは、もはやパッキングではなく「荷造り」だ。
そして天気の良い日中に干しておいた洗濯物は、夜の土砂降りに降られて見事にびしょ濡れに。
私の部屋には収まらないので、他の空き部屋に(こっそり)干してファンを全力で回す。
明日はこれをビニール袋に入れて運んで、次のカトマンズの宿で再度部屋干しをしよう。
あぁ、これが飛行機に乗る前夜でなかった事が、せめてもの幸い。
まとめ買いをしていたミネラルウォーターは、勿体ないので斜め前の部屋のアメリカ人にプレゼント。
(彼の部屋、初めてノックをしたよ…!)
バックパックに入りきらない衣類は、ネパール人の知り合いに寄付。
皆で分けてね!って。
彼らは、とても大切に着てくれるはず。
ワタルさんが3年ぶりに偶然再会した友人が、ワタルさんが3年前にあげたジャケットを未だに着ていたのには驚いた。
再会した時のワタルさんの第一声は、「それ、俺のジャケットじゃん!笑」だった。
偶然の再会にも関わらずに着ていたって事は、きっと毎日の様に着ていたんだろうな。
そんな、物を長く大切に使い続けるネパール人。
私も見習わなきゃ。。
更に余った食料や雑貨類。
まとめて、勝手に「寄付コーナー」を作る。
捨てるくらいなら、誰かに使って欲しい。
旅人がたくさん出入りしている時期なら、もっと需要があったんだろうなー。
むしろ、もっと食べ物に困っている人たちに渡せたら良かったんだけど。
出発前夜なので、これが精一杯。
そんな、慌ただしい夜。
あれだけ時間が有り余っていた帰国難民生活。
立派な大人が、夏休みの最後に宿題をやる小学生状態になってしまったよ。。
明日は5時に起きなければいけないから、睡眠時間は3時間くらいだ。
ポカラ最終日の夜。
数ヵ月ぶりに、目覚まし時計を設定して眠りにつく。