-Delhi to Jodhpur-
「インド周遊旅行に行ってきます!」
そう宣言して出発してから、3か月が経った。
出国して1週間は「バックパッカー慣れ」の為にネパールで「ツーリスト」をした。
その後約1ヵ月間は「トレッカー」だった。
そして2週間ほど「ツーリスト」に戻ったかと思えば、5週間を「スチューデント」として過ごした。
インド旅行と言えば…バラナシとブッダ・ガヤーで合わせて1週間ほどを過ごした程度だ。
しかも留学が終ったら帰ろうかななんて、度々悩んだりもした。
私は今日、5週間過ごしたグルガオンを離れて次の町へ向かう。
あぁ、ようやく始まるよ「インド周遊記」。
もくじ
クリスマスの電車は満席御礼
木曜日に調べたところ、西へ向かう列車は金曜日~日曜日まで全クラスで満席だった。
だから、バスを使う事にした。
グルガオンから出ているバスがあったのでそれにしようと思ったのだけど、ケニーが「それは絶対にダメ、デリーから乗りなさい」と物凄くマジな表情で訴えてきたので従う事にした。
今まで何人もの生徒がグルガオンで夜行バスを待っていたけれど、結局朝まで来なくて運行キャンセルになったんだって。
危険すぎるから絶対にダメだと言われた。
他のインド人はそんな事言わなかったけど。
「近いからそこから乗るのが便利だね!」みたいな感じだったけど。
だけど私は「師匠」に従う事にした。
バスの予約には電話番号が必要なので、ブッキングマスターの先生に予約をお願いする事にした。
スリシティが、「2段席の2段目がいい」「運転席になるべく近い方がいい」とアドバイスをくれていたので、その通りに取ってもらった。
インド人青年たちと遊ぶ
20:25の夜行バスで、次の町ジョードプルへ向かう。
それまで、ルームメイトの女の子(日本人)と出かける事になった。
彼女の友だちのインド人と、そのまた友達のインド人と4人でモールで遊ぶ。
彼女の友だちは流暢な日本語を話すのだけど、その友達の友達は日本語を話さない。
そして彼の英語はとても早口で、私は彼と全く対話ができなかった。
あぁ…私の英語力は、本当に向上しているのだろうか。
インド人同士がヒンディー語で話し出した時に、彼女が「ヒンディーナヒーン!」と言った。
(ナヒーンはノーみたいな意味)
するとすかさず、「ジャパニーズナヒーン!」と言い返されていたのが面白かった。
いや…面白がっちゃいけないんだけど。
そうだよね、日本語で会話されちゃあ退屈だよね。
外でチャイを飲んでいた時、物乞いの女性が近寄って来た。
一人が、グループ代表で10ルピー(18円)を渡す。
「だって、仕方がないよね。家も、着るものも、食べるものも、、、家族も持っていないんだから」って。
あぁ、そういう考え方もあるよね。
私は今まで、物乞いは無視をして旅を続けてきたのだけど。
だってキリがないし、私が僅かなお金を個人個人に恵み続けたって、根本的な問題が解決するとは思えない。
ケニーとスリシティーと、それから日本人生徒4人とでチベット料理を食べに行ったことがあった。
みんなでチベタンマーケットを歩いていた時に、物乞いとすれ違った。
6人とも、一度は目もくれずに通り過ぎたのだけど…スリシティーだけは一度立ち止まって、それからお金を恵みに引き返していった。
スリシティーはその事について何も言わなかったし、私たちも彼女に何も聞かなかった。
だから彼女の意図も気持ちも、私にはわからない。
どうするのが正解なのか、私にはまだわからない。
グルガオンから、デリー行きのバス停へ|ちょっぴり感じる留学の成果
夕方、宿にいた日本人生徒たちに、別れを告げる。
ルームメイトの女の子が「チセさんが出発しますよー!」と声を掛けてくれた。
成長を感じる、別れの挨拶
彼女が声をかけてくれなくても、私は自ら挨拶をする予定でいた。
だけど今までの私だったら…きっと何も言わずに立ち去るかな。
だって「私、今から去るからね!名残惜しんで~!」って言っているみたいで気持ち悪い。
「私、今日誕生日なんだっ!」って言い回っている人みたいな気持ちになる。
会社を退職するときにも、ギリギリまでは最低限の人にしか言わなかった。
業務上必要なタイミングになった時には言えたのだけど…そうでなければ、そんな個人的な事を自らなんて言えない。
そんな(今思えば)ヘンテコな感情は、不思議と湧かなかった。
素直に「さようなら」を言いたいと思った。
最後に一目会ってから去りたいと思った。
だって私の貴重な1ヵ月という時間を、同じ空間で過ごした人たちだもん。
これもきっと、この留学期間に成長した事の一つ。
メトロの行列にて、成長を感じる
メトロ駅に向かう。
チケットを買おうと思ったら、そこには長蛇の列ができていた。
あぁ、さっき駅に来た時に事前に買っておくんだった。
素直にこの列に並べば、30分以上はかかりそうだ。
そうすれば私は、確実にバスに乗り遅れる。
半分本気、半分は感情モリモリで泣き落とし作戦に出る。
近くで列を見張っている警備員に、可哀そうな旅行者を装い声を掛ける。
わたし「すみません…どうしても8時までにJhandewalan駅に行きたいので、この列に並ぶ時間がありません!(泣)」
警備員「そのあと何処へ行くの?」
わたし「バス停に行きます。ジョードプル行きのバスに乗る予定です!」
警備員「ジョードプル行きのバスチケットは買ったの?」
わたし「はい」
警備員「見せて」
e-mailの予約完了画面を確認した警備員は、私を列の先頭に割り込ませてくれた。
よかった…助かった。頼んでみるものだ。
そして、優しすぎるよインド人。
そして1ヵ月前の私だったら、こんなにスムーズに状況説明なんてできなかったと思う。
言いたいことも言えたし、警備員が私に何を聞いているのかも理解できた。
私の英語力…たぶん上がってる。
デリーのバス停|KAROL BAGH Gurgaon DTC Stand
メトロは順調に、目的のJhandewalan駅に着いた。
バス乗り場は、「たぶんこの道を少し行ったところだろうな」と思うところで念のため人に聞いてみた。
そうしたら「あっちだ」と、思っていたのとは違う方向を指示される。
半信半疑でその「あっち」に向かい、すぐに別の人に尋ねると「あっちだ」と私が最初に思っていた方向を指示される。
やっぱり私合ってたじゃーん。
戻ってくると、さっきの人が「こっちじゃなくてあっちだ」と言う。
「だけど別の人にこっちだと言われたよ」と説明するも、「あっちだ」と譲らない。
「リクシャーに乗って行け」と、わざわざリクシャーのところまで連れていってくれる。
リクシャーワーラーに「このバス乗り場知ってる?」と聞くもわからない。
周りの人が助けに入ってくれた。
「このバス乗り場から、どこへ行くの?」と聞かれ「ジョードプルだ」と答えると、「あっちだ、すぐそこの青い看板の下だ」と言われる。
やっぱり私合ってたじゃーん(2回目)。
しかも「すぐそこ」だったよ。
名前に何故か「Gurgaon」と入っているけれど、ニューデリーの近く。
KAROL BAGH Gurgaon DTC Stand
その場所に行って、待っている人に聞いてみる。
どうやらここで合っている様だ。
外国人との雑談で、成長を感じる
インド人に混ざって、外国人のおじちゃんがいた。
こういう時、外国人仲間は心強い。
しれっと彼の隣の席に座ってみたら、話しかけてくれた。
オジ様「どこへ行くの?」
わたし「ジョードプルです」
オジ様「私もジョードプルだよ!同じバスかな?」
e-mailの予約完了画面を見せられる。
私も見せながら、「多分同じです」と答える。
(お~!さらに心強い!)
最初は電車で行くつもりだったのだけど、「インドの電車はいつも遅延する」という話を聞いてバスにしたんだって。
あぁ、遅延に関しては私も身を持って体験しているよ。
やっぱりバスがいいよね!
彼は、スペインのバスク地方出身だと言う。
だから私は、いつかスペインの「カミーノ(巡礼)」に挑戦したいのだと言ってみた。
出発地点の話や、いくつかあるルートの話などをして盛り上がる。
カミーノ(スペイン巡礼)
スペインの「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へ向けて、各地から続く巡礼の道。
一番人気は「フランス人の道」で、フランスの「サン・ジャン・ピエ・ド・ポー」という街からピレネー山脈を越えて800kmを歩く。
そして私、彼の言っている事が7割くらいはわかる。
やっぱり話し込んじゃうと100%は無理なんだけど。
文章の3割くらいは穴ぼこで、文脈で判断するしかないんだけど。
それでも、「3割は理解してないよ」というのがバレない程度のリアクションと返答ができる。
そして彼は多分、私にあまり気を使わずに話している。
今まで出会った人がしてくれていたような、「ゆっくりはっきりと、簡単な単語でわかりやすく」という感じがしない。
私の英語力…やっぱり向上している気がする。
初めての寝台バス
10分遅れくらいでバスが来た。
1段目にいくつかの普通座席があって、1段目の後方と2段目は寝台席。
右側が1人部屋で、左側は2人部屋。
部屋はガラスの扉とカーテンで完全個室にできる。
いや~、めちゃくちゃ快適じゃないか。
うっかりしていると席を奪われる、列車のスリーパークラスなんか比じゃない。
あぁ、今後は可能な限りバス移動にしたい。
バス移動のデメリットとしては、チケットの入手が困難(今回は学校の先生にWEBで取ってもらった)という事と、バス乗り場がわかりにくいという事。
列車だったら、チケットは駅に行けば買えるし旅行会社を頼ってもいい。
乗るときは、駅に向かえばいいだけ。簡単だ。
バスに乗り込んで、「ケニー先生」から届いていたメールを読んでみる。
ケニーの話で1記事も書けちゃうくらい感謝感激雨嵐なのに、私はそれを直接伝えられなかった。
そういうところは、何も成長できていない。
「thank you」という定型フレーズしか言えない自分を変えたいんじゃなかったのか。
だから私は昨夜、人生初の「英語で書く感謝状」をケニーに送ったのだ。
翻訳機や辞書を一切使わずに書いてみた。
読めなければ意味がないので、スペルチェックだけはしたけれど。
ケニーにいつも「もっと!もっと!」と言われていたのを思い出し、ウザいほどの長文メールを送ってみた。
だから、それは感謝の気持ちを伝えるのと同時に、私の英語力の発表の様な気持ちも含まれている。
添削されて戻ってくるかとも思ったけど、普通に返信が来ていた。
「Learning is a lifelong process」というフレーズが、ケニーらしくて心に響いた。
そうだね、いつまでも学び続ける自分でありたいよ。
日々の生活の中で、「なんとなく暮らす」様な自分には絶対にならない様に心掛けたい。
夜のバス車内は、凍えるほど寒かった。
ケニーのアドバイス通り、パーカーとダウンコートを買っておいてよかった。
ようやく始まるインド周遊旅行。
この先の旅に、困ったときにアドバイスをくれる「先生」はいない。
ヒマラヤの時みたいに、励まし合える「他のトレッカー」もいない。
ここから始まる、本当の「ひとり旅」。