ジュンベシ(Junbesi)2700m
朝、おじいさんがパンケーキを焼いてくれた。
私は昨日、なぜこの光景を怖いと思ったんだろう。
のどかな異国の、田舎の風景じゃないか。
時は戻って昨夜。
私はこの旅に必要なアイテムを前の宿泊地バンダルに忘れてしまった事に気づく。
バンダル在住のディネスの友人が、バンダルとセテの間の町「キンジャ」まで届けてくれることになった。
ディネスは早朝にキンジャまで受け取りに行ってくれた。
(もちろん、2人にチップはお支払い)
あぁ、今日はここセテに2泊か~。
また行程が1日遅れるな。
…なんて思ったけど、
「朝行って12:00には戻るから、峠の頂上付近までは行けるよ」
との事。
うん、少しでも進めるなんて嬉しい!
ところが今朝。
予定より遥かに早い9:30頃、ディネスが戻ってきた。
汗だくになりながら、私が忘れたポーチを手渡す。
しかも、「今日は(私が本来行きたかった)ジュンベシまで行けるよ!」と。
あぁディネス様。なんて素晴らしいパートナーなんでしょう。
実は私には、2つの懸念があった。
なぜ私はまだディネスと一緒にいるのか
バンダルで朝ディネスと待ち合わせをしたのは、
「私をポーターに引き渡してくれるまでの付き添い」
だと思っていた。
しかし、一向にポーターが現れる気配がない。
「私はいつポーターに会えるの?」と聞いてみるも、うまく伝わらない。
もしや私は「ディネスにポーターの紹介を依頼」したつもりが、「ディネスにポーターを依頼」した事になっているのではなかろうか。
そうだとしたら…
1日1,000ルピーにはポーターの食費と宿泊費は含まれていないかも?
昨日のランチ代は、私が2人分払った。
その時は、「お世話になっているしまぁいいか」と思ったんだけど。
でも、「ディネスが私のポーター」ならば話は別。
だって全て込みで1,000ルピーだと約束したんだもの。
だけどね。
早朝から山道を往復してくれて、しかも私の「今日はジュンベシまで行きたい」という希望を叶えるために汗だくになりながら急いでくれたディネス。
そんなディネスに、私は頭が上がらない。
彼が私のポーターで、1日1,000ルピーのポーター代を払い、別途彼の食費と宿泊費も負担。
それでも別にいいのかな。
…と思ったんだけど、言ってしまったよ。
だって、チェックアウトで提示された金額(2,570ルピー)が、予想外だったんだもの。
昨日までは一人で数百ルピーだったのに。
そうしたら、「1,000ルピーには食費と宿泊費は含まれていない」と。
えー、私何度も確認したのに!紙にも書いたのに!
まぁ、1,000ルピーに全部込みだったら採算合わないだろうなとは思っていたけど。
これはディネスが私を騙しているわけではなく、私の英語力の問題だったんだと思う。
紙に書いてたってね、リーディングとライティングの力に不足があれば意味ないよね。
うんいいよ。(正直、痛い出費だけども!)
だってディネスは凄いんだもの。
一人で何役もこなすんだもの。
ポーター、ガイド(道案内)、緊急時のサポート、、、
それに、普段は英語教師をやっているという彼の英語はとても流暢。(訛ってるけど)
つまりは英語のトレーナー役でもあるよね。
一人で4役もこなすディネス。
それに、組織に属さない流しのポーターは責任感がない場合も多いみたい。
ディネスの責任感の強さは、この2日間で十分感じている。
滑りやすい道、危ない道があれば事前に「こっちを歩きなよ」と誘導してくれる。
転びそうになったら、すぐさま支えてくれる。
適度に休憩の心配をしてくれる。
ゆっくりマイペースに歩きたいという、私の希望を叶えてくれる。
…何文句いってんの!私ってば!
だけどそれはそれとして、こんなに大きな勘違いをしていたなんてとても情けない。
悲しすぎる私の英語力…。
英語力に問題のない人がこの日記をみたら、きっと鼻で笑われるレベルのしょうもない話。
恥ずかしすぎるから、この話はなかった事にしようかとも思った。
普通に「1,000ルピー(食費、宿泊費別)でディネスにポーターを依頼しましたー!」って2日目の記事にさらっと書けば済む。
だけど、これが今のありのままの私で、これがありのままの私の旅。
笑いたければ笑えばいいさ!(←やけくそ)
セテ(2575m)→ラムジュラ・バンジャン峠(3530m)
さて、話を戻すと本日はラムジュラ・バンジャン峠(標高3530m)を越える。
私の出発地点ジリから、飛行機でスタートする人の出発地点ルクラまでの約1週間の行程の中で、最も厳しい道。
(つまりは、今日頑張ればルクラまでは楽なはず!)
私は、過去に富士山須走ルート6合目(標高2920m)で高山病を発症した事がある。
そのあとは何とか本7合目(標高3,200m)まで行ったけれど、その時点で意識は朦朧としていた。
食事も取る事ができず、吐き気はあるのに何も食べてないから吐けない。
疲れているから眠りたいのに、横になると呼吸が浅くなって辛いから、ほぼ一晩中起きていた。
翌朝、これ以上標高を上げる事をあきらめた。
本気で命の危険を感じたから。
【富士山惨敗】高山病の恐怖、そしてリベンジ|高山病の反省と対策
そんな苦い経験があるので、私にとって今回の3530mの峠越えは一つの乗り越えるべき関門。
どうなる事やらと思いつつ、10:30頃に出発!
ディネスが、今日はあそこを通るのだと指さす。
めちゃくちゃ雲がかかってる。。。
セテからは、約3時間ほどとにかく登る。
途中、マニ石に出会う。
マニ石はヒマラヤに住むシェルパ族にとって神聖なもの。
神聖なものは、時計回りに通過しなければならない。
シェルパ族
チベットから山を越えて移住してきた民族。チベット仏教徒。
高山に強い彼らは、ヒマラヤでガイドやポーターとしても活躍。
エベレストなどの標高6000m越えの登山サポートもするため、命を落とすシェルパもたくさんいる。
昨日マニ石を左に進もうとしたら、ディネスが「こっちだよー」と右を勧めた。
「これはマニ石だよね?左じゃなくていいの?」と聞いたら、「そうだね、ごめんごめん」と。
彼はヒンドゥー教徒だからあまり意識していなかったんだね。
だから今日このマニ石を通過するときは、「左だね!」とはにかむディネス。
マニ石には、シェルパ語が刻まれている。
私には謎の暗号にしか見えないのだけど、、、ディネスも読めないみたいだ。
既に雲の中に入っているのか、下から勢いよく霧が吹きあがる。
とにかく霧の道を進む。
ひたすら進む。
この木はなんだろう。不思議な木だ。
13:40頃、山頂に到着。予定通りの約3時間。
山道を登ってきた疲労感はあるものの、懸念していた高山の苦しさは感じない。
これまで標高2000m前後の町々に滞在してきて、高度順応ができているのかもしれない。
とりあえず、第一関門は突破!
ラムジュラ・バンジャン峠(3530m)→ジュンベシ(2700m)
山の中にストゥーパ。シェルパの仏塔。
下りも約3時間ほどとの事。
下りに入って間もなく、360°の岩の世界が現れる。
ここだけ何か別の空間かのような、霧の中の不思議な世界。
下りの途中、雨が降ってくる。
毎日毎日、どこかのタイミングで雨が降るな~。
しかし下りはとても楽しく、日本の夏山を下っている時と同じペースでサクサク下る。
ここが高山であるという事も忘れて。(←しっかりして!)
まもなくジュンベシが見えてきそうな頃、シェルパ語が刻まれた巨大な岩が視界を覆う。
霧の中に突如現れたという事もあり、圧倒される。
そして、間もなくジュンベシ。
霧深い中に微かに見えてきた。
17:30頃、ジュンベシに到着。
ディネスが友達を発見して、「ここにしよう」と宿を決める。
だけど決定権は私にあるので、私が部屋を見てokを出せば確定。
まぁ、よほどの事がなければ、私はたいていは受け入れている。
共用のトイレにゴミ箱がなかったので、「私はトイレットペーパーを使います」と主張して入れ物を置いてもらう。
ネパールでは、トイレットペーパーを便器に捨ててはいけない。
(そんな事したら速攻で詰まる!)
ネパール人は、お尻は水で洗うからトイレットペーパーは使わない。
だから外国人慣れをしていないローカルな場所のトイレには、トイレットペーパーを捨てる為のごみ箱がない事もある。
トイレを使う前に要チェック!
案内された部屋は扉の立て付けがとても悪く、開閉に腕力とテクニックが必要。
「私には難しいです」と主張すると、部屋を変えてくれた。
(しかも4ベッドルームを一人で使って同料金!)
今までだったら、不便だな~と思いながらも普通に使っていたと思う。
だけど少し旅慣れて来た(つもり)の私は、次のステップへ進むことにしたのだ。
部屋が気に入らなければ希望を伝える!(もしくは宿を移る)
日本では自己主張が弱すぎて、、、
例えば電車で一番扉側(の端っこ)に立っていても、扉の真ん中にできた列に入れず一番最後に降りるという謎の遠慮をしている私。
「この旅で少しは強さが身につけばいいな」というのが隠れ目標の一つ。
セテ(Sete)2575m
↓(約3時間)
ラムジュラ・バンジャン峠(Lamjura Bhanjyang)3530m
↓(約4時間)
ジュンベシ(Junbesi)2700m