天気がいいので、札幌観光。
野外博物館 北海道開拓の村へ。
北海道開拓の村とは…。
北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を、54.2ヘクタールの敷地に移築復元・再現した野外博物館です。
ここを訪れる人たちに開拓当時の生活を体感的に理解してもらうことと、文化の流れを示す建造物を保存し、後世に永く伝えることを目的に1983年4月に開村しました。
開拓時代の人たちの知恵と努力を見ることができ、建造物一つ一つが開拓当時へと導いてくれることでしょう。
北海道開拓の村HPより
つまり、明治から昭和初期の、開拓時代の北海道へタイムスリップできるわけだ。
もくじ
北海道開拓の村4つのエリア
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北海道開拓の村は、「市街地群」「山村群」「農村群」「漁村群」の4つのエリアに分かれている。
入り口から「市街地群」を抜けて「農村群」の手前までは、馬車で移動する事もできる。
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エリアマップは、北海道開拓の村HPにてご確認くだい。
https://www.kaitaku.or.jp/about/
山村群
まずは、山村群へ。
旧札幌農学校寄宿舎(恵迪寮)
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札幌農学校とは、現在の北海道大学のこと。
北海道大学は「いち地方都市の大学」などではなく、北海道の開拓時代を支えた、歴史的にも重要な学校なのだ。
そんな北海道大学の開校は、明治9年。
現在の札幌時計台あたりに開校し、明治36年に現在の敷地へ移転。
明治38年に学生寮も新築されて、明治40年に恵迪寮と名付けられたのだとか。
ここの内装は、明治42年頃を想定して復元されている。
明治時代の、開拓時代の学生たちの暮らしを感じられるなんて。
ロマンだな~。
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学生たちの給食。
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こういうのをさ!
食堂で再現して販売すればいいのに!
絶対食べるしワクワクするのに!
難しいのかな??
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ものすんごい汚い部屋。。
明治という遠い昔に、北海道の開拓期を過ごした学生たち。
彼等は、私にとっては歴史の中の人物で、なぜか勝手に立派な人たちだと思っていた。
だけど、彼等もただの学生(おこちゃま)なのだと知る。
時代など関係なしに、若者は若者なのだ。
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ただのアホやね。
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うんうん。
どんな時代に生きていても、元気なのはいい事だ。
こんな寒くて堅そうなベッドで眠っていてもね。
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寮内では色々な時代の校歌なんかも流れていて、明治開拓ロマン(?)な気分を味わう事ができる。
森林鉄道機関庫
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これは、大正後期の森林鉄道機関庫。
北海道庁は、大正8年度に国有林の直営伐採事業を計画に追加。
木材搬出の為の森林鉄道の建設が道内各地で進められ、昭和初期には鉄道運材が主流になったのだとか。
鉄道が整備される始まりが、木材を運ぶ事を目的とするものだったのか。
人の移動手段の為ではないのだね。
他の土地では、どうなんだろうか。
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山村エリアはその名の通り、まるで山の中の様な樹林帯の中にある。
建物は散在しているので、目的地までは自然の中を歩いてむかう。
旧札幌師範学校武道場
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昭和4年に建設された、旧札幌師範学校武道場。
現在の北海道教育大学札幌校の事。
北海道教育大学も、歴史が深いのだ。
当時は、剣道場・柔道場として使用されていた。
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そして戦後は一時図書館として使用さて、その後は第二体育館として使用されていた。
旧平造材部飯場
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大正後期に建てられた、旧平造材部飯場。
造材飯場とは、材木や造材に関わった山子や、運材作業に従事した藪出し、馬追いなどが寝泊まりする山小屋。
この建物では山子と藪出しが生活し、馬追いは別棟だった。
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絶対寒いよね。。
網走監獄の労働部屋を思い出すレベルだよ。
炭焼小屋
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北海道は、国内有数の木炭生産地で、主に黒炭が生産されていた。
明治・大正期の北海道では、角窯という種類の炭窯が使われていたのだとか。
開拓の村食堂でランチ休憩
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一旦入り口付近まで戻り、開拓の村食堂でランチ休憩。
私は屯田兵定食というものを食べる気満々だったのに、販売中止中だった。
代わりに、やん衆定食というものを注文。
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やん衆とは、北海道でニシン漁などに従事していた季節労働者たちの事。
開拓期の北海道では、ニシン漁で豊かになった人たちもいて、ニシン御殿なるものが建てられるほどの賑わいだったのだ。
そんな海の男たちが食べていたという事かな…やん衆定食。
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いももちも美味しい♡
市街地群
食後は、入り口から真っすぐと伸びる道沿いに建物が並ぶ、「市街地群」へ。
馬車鉄道
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ちょうど、馬車が出発する時間だったので、馬車を追いかける様に市街地群を歩く。
そして、馬車は市街地群の外れ、農村群の入り口付近で停まる。
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夏は馬車鉄道で、冬は馬そり。
冬の北海道開拓の村も、北海道の開拓期の厳しさを感じられて、違った魅力がありそう。
いま歩いてきた馬車に乗り込み、出発地点へ戻る。
ここからは、道沿いに「市街地群」の建物を巡る。
市街地群に属する建物は全部で31軒。
全てを巡る時間はないので、興味のある建物を選んで見学。
旧来正旅館
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旧来正旅館は、旅館兼鉄道の待合所。
大正時代の旅館だなんて、旅人ならばぜひ立ち寄らねば!
1階が家族の居室と待合所、2階が客室との事。
見学は1階部分のみだった。
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これは、家族の居間。
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こちらは、女中部屋。
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わずか4畳…狭い。
お風呂や洗面所もあって、風情を感じる。
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汽車の待合所でもあるので、入り口の待合室には時刻表も。
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そして、来正旅館の実際の写真。
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雪景色と相成って、そそられる情景。
ぜひとも泊ってみたいものだ。
三〼河本そば屋
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三〼河本そば屋は、石川県から18歳の時に小樽に移住してきた河本さんが、そば屋の修行を積んで、三〼そば屋ののれんを継いで新築したお店。
小樽で最も栄えた地域にあったので、食事や宴会の場として多くの人々に利用されていた。
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人々で賑わうお蕎麦屋さん…情景が浮かぶ様だ。
旧武井商店酒造部
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旧武井商店酒造部は、石炭荷役、回船業を営んでいた武井家が、明治19年に建てた建物。
酒造業は、明治28年から。
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お酒を造る場所という事で、広い敷地に大きな道具が並んでいた。
戦時下に酒造禁止命令が出されるまで、製造が続けられていた。
北海道内の酒造業マップ!
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色々飲み比べて、北海道の酒の味の違いについて語れる女になりたいものだわ。(←絶対に無理)
旧近藤医院
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旧近藤医院は、明治35年から昭和33年まで使われていた建物。
1階は、診察室、手術室、居間。(2階は居室)
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この時代の医療は、どれほどのものだったのでしょう。
旧広瀬写真館
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旧広瀬写真館は、大正末期から昭和33年まで営業されていた写真館。
外観は洋風で、内装の多くが和風の、和洋折衷の建物。
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自然光を用いるため、撮影は2階で。
北側の窓は、斜めのガラス張りになっている。
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まるで外にいるかのよう!…な写真が撮れるという事で、喜ばれたのかな。
今や、素人が屋外で簡単に写真が撮れる時代。
だけど、こういう「1枚1枚が貴重!」な渾身の写真が撮れるのは、素敵だと思うなー。
今は、とりあえずで写真をパシャパシャとって、出来栄えを見て気軽に取捨選択するけれど…1枚に気持ちを込める、現像して出来栄えを見るのを楽しみにする、という手順が取れた頃も、素敵だったと思う。(写ルンです経験世代の戯言)
旧札幌警察署南一条巡査派出所
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旧札幌警察署南一条巡査派出所は、明治18年に建てられた時は木造で、明治44年に皇太子の行啓に向けて個人の寄付で建てられたのが、この建物。
個人の寄付で交番…!?笑
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中を覗くと、お巡りさんが勤務中だった。
旧山本理髪店
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旧山本理髪店は、建物のオーナーが変わっても一貫して理髪店として使用されていた。
北海道神宮裏参道沿いの「床屋さん」として親しまれていたのだとか。
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お客さんと理容師さんが会話している音声が流れている。
でもでも…髭を剃りながら会話をするのは危ないのでは!??
旧渡辺商店
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旧渡辺商店は、明治30年代に砂金彫りで賑わった町(中頓別町)にあった雑貨店。
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この感じ、ちょっとネパールの商店を思い出して懐かしい気持ちになる。
旧大石三省堂支店
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ちっちゃくて可愛い本屋さんがある~★
…と思って近づいたら、お菓子屋さんだった。
店名から、何故か勝手に本屋を連想。
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旧大石三省堂支店は、大正14年から昭和30年まで、帯広で親子二代で営業されていた菓子店。
旧武岡商店
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武岡家は、明治4年に淡路島から移動してきた士族移民団の一員。
明治4年って、、北海道の移住者の中では初期中の初期だ。
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中を見て反物屋さんかと思ったけど、色々扱っていた商家だったみたい。
ここでも「今年の景気はどうだい??」みたいな会話をしていた。
所々の建物にある再現音声劇、何気に面白い。笑
旧浦河公会会堂
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神戸で設立された北海道開拓公社「赤心社」の指導者にキリスト教徒が多かった為、建てられた教会。
木造の、礼拝・集会所。
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神戸から北海道だなんて、気候が全く違うだろうに。
ここが、心の拠り所になったりしたのかな。
漁村群
農村群を巡ってからの漁村群の予定だったけれど、閉園の時間になりそうなので、農村群は次回に持ち越し。
漁村群の池の畔で、少し休憩。
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のどかで心地の良い場所。
ベンチに座って、のんびり読書をするのもいいかも。
近くには、昔ながらの遊びができるエリアも。
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ワタルさんと竹馬勝負。
私の勝ち!
旧土谷家はねだし
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はねだしは、海岸の地形に合わせて海側へ跳ね出す形で建てられた倉。
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正面の入り口を使わなくても、床の開口部を通して、荷物の出し入れが出来た。
便利!
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旧青山家漁家住宅
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青山家は、安政6年に山形県から移住してきて、小樽海岸を中心にニシン漁などを経営した漁家。
めちゃくちゃ豪邸!
多くの従業員が、この建物で暮らしていたのだ。
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各部屋に、皮の敷き物が敷かれていた。
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富の象徴??
それとも、単純に防寒のため??
倉には、巨大な船。
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当時の漁業の賑わいを彷彿とさせられる。
旧秋山家漁家住宅
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絵的には、ここが一番好き!
池のほとりにポツンと立つ木造のお家。
秋山家は、明治末期に秋田県の男鹿半島から焼尻島へ移住してきた家。
焼尻島…道民でもほとんど聞き馴染みのないマイナーな離島に移住とは。。
(観光客もほとんど来ないので、とても親切にしてもらえるらしい!)
親子三代で、昭和53年まで暮らしていた。(わりと最近!)
北海道開拓の村まとめ
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明治~昭和初期の開拓時代の雰囲気を感じながら、ぷらぷらとお散歩をするにはとてもいい場所だった。
勉強にもなるし!
真面目に一軒一軒覗いていたら1日ではとても足りないので、何回かに分けるか、予め優先順位を決めて計画的に回る必要あり。
入り口で「博物館とのセットがお得ですよ」と言われてまんまとセット券を購入したものの、とても博物館など行ける感じではなかった。
(数ヶ月先まで有効だから、また改めて博物館単体で行こう。。)
農村群も行けなかったし、季節が変わればまた雰囲気も変わるだろうから、ぜひまた訪れようと思う。
江戸東京たてもの園とか明治村みたいだけど
さすが北の国仕様ですね。
瓦屋根が少ない感じがする。
絶対、屯田兵定食が食べたい!
sakaeさま
そうなんです!よくお気づきで!
北海道では、ほとんど瓦屋根を見かけないんですよね。
この時期は少しあったのかもしれませんが(みんな本州からの移住者なので)。
修学旅行で本州の瓦屋根だらけのエリアを通って、まるで時代劇の舞台みたいだなと感動したのを覚えています。
札幌に比較的近いところにこういう場所があるのは面白いですね。貴重な情報ありがとうございました。
秋田県でも明治期に開発された集落もあるとは思いますが、
観光資源化されてる場所はほぼないと思う(というか過疎で
消滅してるところも多い)ので、規模も全然違うというのはもちろんありますが、観光産業では、視点の取り方が重要と改めて感じました。
NKさま
北海道開拓の村の建物は全て「再現」の為、過疎だとしても現存の集落の方が興味深いです。
秋田県だと、北海道とはまた別の歴史があると思うので、建物や集落の感じも違うのでしょうね。
都市近郊に広大なスペースを取って野外博物館にできるのは、北海道ならではですね!