カトマンズ -Kathmandu-
朝4時に目が覚める。
こんな時間に起きたって、朝6時から朝食を作ってくれるシェルパはここにはいない。
再び布団に潜って、時間が過ぎるのをひたすら待つ。
カトマンズで日本食を食べる
今日は日本食を食べるのだ。
オープンが10時からだから、その前に溜まりに溜まった洗濯物などを片づける。
泥だらけの靴も洗う。
ヒマラヤで出会ったK君がお勧めしてくれた「絆」というお店を探したのだけど見つからない。
その近くにあった「ふる里」というお店で食べることにした。
ヒマラヤンロス
料理を待っている間、湯飲みに入った緑茶が出される。
私はそれを少しづつ飲みながら、ぼぉーっと外を眺める。
昨日まで私は、ヒマラヤの中にいた。
そしておそらく私は、二度とあの地へは行かない。
何日もシャワーを浴びない。服も着替えない。
トイレはとても不衛生で、水だって安全かどうかわからない。
寒くて寒くて堪らないのに、ヘッドライトを片手に外の冷水で顔を洗う。
それに比べて、カトマンズの宿は快適すぎる。
なのに私は、こころにポッカリ穴が開いた様な大きな喪失感を感じている。
朝早くから朝食を用意してくれて、温かく見送ってくれるシェルパがいない。
すれ違う人すれ違う人と、挨拶を交わすこともしない。
宿に入れば「よく来たね」と歓迎してくれるシェルパがいない。
ダイニングで、トレッカーたちと談笑することもしない。
私は一人でいる事が好きだったし、それを寂しいと思ったことはない。
一人が寂しいなんて、弱いことだと思っていた。
だけど、私は今とても「寂しさ」を感じている。
もしかしたら生まれて初めてかもしれない。「人を求めての寂しさ」なんて。
トレッキング中は、基本的には一人でいた。
だけどヒマラヤの山の中には多くのトレッカーがいた。
彼等とすれ違うだけで励みになったし、簡単な挨拶だけでも嬉しい気持ちになった。
宿に入れば、国籍の違う者同士でコミュニケーションを取る。
それをシェルパが、温かく見守ってくれる。
私の存在を憶えてくれる人がいた。
「また会いましたね」と声を掛け合えるだけで嬉しい。
私の名前を憶えてくれる人もいた。
こんな異国の山の中で名前を呼ばれる事は、この上なく嬉しい。
1人でジリに向かい、1人でスタートした。
最終日は5人でサルエリにゴールして、5人で13時間の悪路を乗り越えてカトマンズに戻ってきた。
昨夜は、ピザを食べながらビールを飲んだ。
この旅でお酒は一滴も飲まないと決めているから、いつもは誘われてもお断りをしている。
異国の地で、一時でも判断力が鈍ってはいけないと思っているから。
だけど私は、決めごとを破ってビールを飲んだ。
彼等と一緒なら大丈夫だろうと思ったから。
出会ったばかりの彼等を、私は既に信用している。
「人を信用する」というのも、私にとってはとても珍しい現象。
お酒はあまり強くない私は、案の定酔っ払った。
だけど頼もしい4人のナイトが、私を宿まで送り届けてくれた。
「人っていいな」と思う。
「仲間は、もっといいな」と思う。
そんなに未練があるなら、もう一度トレッキングに行けばいいじゃないかと思う。
だけど、私がこの24日間で出会った全ての人、全ての出来事は、あの日あのタイミングでのみ得られた奇跡。
もう一度行っても、もう一度同じ体験は二度とできない。
もう一度高校に入学したって、同じクラスメートに出会って同じ日々を過ごす事は決してできないように。
「ふる里」の日本食
トンカツ定食が出てきた。
日本米と、味噌汁も付いている。
生野菜は食べないと決めているのに、ここでも私は決めごとを破った。
だってこれはどう見ても、日本で食べる定食そのものなんだもの。
今日は何もする気が起きない。
だけど、ずっと歩き続けていたんだから、こんな日もあっていいよね。