バギオ -Baguio-
私が滞在している3+1人部屋では、週に2度、1時間の個人レッスンを受ける事ができる。
週に2度、1時間というのは私の部屋のルールなので、同じ3+1人部屋だとしても、部屋ごとに違うみたい。
例えば「毎日みんなでディスカッション」という部屋もある。
いつもは、スピーキングの練習をしているのだけど、今日は趣向を変えて「フィリピンの歴史」を教えて欲しいとお願いしてみた。
※私の英語力で聞き取れた範囲であるという事と、あくまでも私の先生の見解であるという事をご了承ください。
スペイン統治時代
マゼランが西周りでの世界一周のおり、フィリピンに到着して滞在したのが、フィリピンにとって外国との初めての関わりだったのだとか。
マゼランたちスペイン人は、スペイン語とキリスト教(カトリック)をフィリピンに持ち込んだ。
だからフィリピン人の多くが、今でもキリスト教を信仰している。
(私は、てっきりアメリカ統治時代にアメリカ人が持ち込んだのかと思っていたよ。)
現在はフィリピン人の多くが自身の言語(タガログ語など)+英語を話すけど、一部の地域では未だにスペイン語も話されているんだって。
マゼランたちスペイン人とフィリピン人は、最初は良好な関係を築いていたけれど、そのうち争いになったみたい。
結局、スペイン統治時代は350年くらい続いた。
アメリカ統治時代
世界大戦より少し前に、アメリカ人がフィリピンに上陸。
そこで既に住み着いていたスペイン人たちとバトルになって、アメリカ人が勝利。
スペイン人はほとんどいなくなり、アメリカの統治時代が始まる。
アメリカ人はフィリピン人に好く接していたみたいで、両者は良好な関係を築いていた。
日本兵の到来
世界大戦のさなか、日本兵がフィリピンに上陸。
当時、日本とアメリカは敵同士。
つまり、アメリカと良好な関係を築いていたフィリピン人も、日本兵にとっては敵。
多くのフィリピン人が、日本兵によって殺されたんだって。
日本兵に殺されたフィリピン人の幽霊がたくさん住んでいるという、 有名な心霊スポット(ホテル)もある。
日本兵の残忍な所業として、「死の行進(デスマーチ)」というのがあって、捕虜となったフィリピン人やアメリカ人たちが長距離を歩かされた。
飢えや乾き、疲労などで、多くの人が行進中に亡くなったんだって。
フィリピン人の反日感情について
ちょっと概要を聞いただけの私でさえ、日本兵の行いは残忍だと思った。
フィリピン人にとっては尚更なんじゃないかな。
と思って聞いてみたけれど、歴史上で関わったスペイン、アメリカ、日本などの海外諸国に対して、フィリピン人の誰もが怒りは感じていないらしい。
戦争を経験したであろう高齢世代でさえ。
だってそれは過去の事であって、今を生きる人々の行いではないから。
…だけど余談として、中国人の事を嫌っているフィリピン人は大勢いるらしい。
(彼女の見解では、70%くらい)
何故かというと、フィリピンの西側にある無人島郡を、中国の領土だと主張してきているから。
そこはフィリピン人が釣りをしに行くスポットなんだけど、そんなフィリピン人を撃って追い払うんだって。
中国との領土問題は、日本にもあるけど。
あとは、フィリピンの凄く綺麗なビーチで子供が漏らしたう〇こを洗ったりするせいで、しばらく立ち入り禁止になるくらい汚染されてしまったらしい。
だから、フィリピン人の多くは中国人が嫌い。
彼女自身は、中国人の生徒や友達もたくさんいるから、嫌ってはいないとの事だけれど。