1日目は、私のルーツであり祖母のふるさとである「せたな町」を訪れる旅。
2日目は、「北海道の離島に行ってみたい」という母の長年の希望を叶える為「奥尻島」へ。
北海道の有人の離島は6ヵ所。
- 礼文島
- 利尻島
- 焼尻島
- 天売島
- 奥尻島
- 小島(厚岸小島)
※一般人が定期航路で訪れる事ができるのは、小島を除く5ヵ所。
私も、北海道の離島は初めて!
奥尻島は、奥尻ブルーと呼ばれている青い海と、美味しいウニが魅力の島。
▼前回のおはなし▼
せたな旅行|明治の入植者だった先祖を訪ねる旅&あわび山荘でアワビ三昧
もくじ
ハートランドフェリーで奥尻島へ!
せたな町から奥尻島へは、地図上では「すぐそこ!」なのに、フェリーが出ている「江差町」まで行かなければならない。
なんて遠回りなの!
宿泊先の「あわび山荘」から江差のフェリー乗り場までは、車で約1時間。
江差港09:40発、奥尻港11:50着の、約2時間の船旅。
8時からの朝食を高速で平らげ、8時半前に宿を出る。
到着はギリギリで、締め切り直前に駆け込み乗船。
危なかった~。。
「江差ー奥尻」航路を運航しているのは、「ハートランドフェリー」のみ。
こちらは、道北の「利尻島・礼文島」への航路も運行している。
余談だけど…私が世界周遊旅の計画を練っていた頃は、北海道の稚内からロシアのサハリンまでの航路も運行していた会社だったと思う。。
- 夏に北海道→サハリン→ロシア本土→西を目指す旅
- 冬に鳥取→韓国経由でロシア本土→西を目指す旅
…の2択だったのだ。(実現しなかったけど)
運賃は、通常は往復で6,260円のところ、なんとキャンペーン価格で4,520円だった。
札幌から乗って来たレンタカーは、船で奥尻まで運ぶと高いので、江差港の駐車場でお留守番。(駐車場代は無料)
奥尻で新たにもう一台借りた方が、トータルの旅費は安く済む。
運航スケジュールや運賃は時期によって変わるので、詳細はハートランドフェリーのHPでご確認ください。
http://www.heartlandferry.jp/
船は、個室もある様な大きな客船。
売店もある。
一番安いのは2等席だけど、新型コロナウィルスの影響で、2等指定席も解放されていた。
テレビも付いているし、椅子もゆったりしいていて快適!
遠ざかる、北海道本土。
さようなら~。
また明日っ!
奥尻島上陸!島内1周ドライブ
新たな陸地、奥尻の土地が見えてきた。
めちゃくちゃ、雲行きが怪しい。。
そして、約2時間の 船旅を終え、船は無事に奥尻港に入港。
素朴な、港のフェリーターミナル。
のどかだ~。
フェリーターミナルには、奥尻のマスコットキャラクターうにまるくん。
奥尻レンタカーの送迎車に乗って、代表者1名がレンタカーオフィスへ。
我が家は母に行ってもらう。
私は隣に運転慣れしている人がいる状態じゃないと、運転ができないのだ。
(早く一人立ちして、色々な山に行きたい!)
奥尻島は、周囲をぐるっと一回りできる様に道路が通っていて、一周約65キロとの事だ。
見どころはたくさん!
…なのだけれど、あいにく雨が降って来た。
雨の日でも楽しめそうなスポットだけ、かいつまんで回ろう。
(景勝地なんかは、期待できそうにないな。。)
賽の河原公園|北の岬さくらばな
まずは、昼食。
母が奥尻レンタカーの人にお勧めされたお店に行ってみる。
奥尻島の北端にある賽の河原公園…の中にある「北の岬さくらばな」さん。
賽の河原(さいのかわら)は、霊場で仏教用語。
奥尻島の賽の河原では、海難事故で亡くなった方などを慰霊している。
後述する1993年の北海道南西沖地震の犠牲者の慰霊碑もあるとの事。
雨で散策する気になれないので、ここでは食事だけ。
新鮮な海産物が食べられる。
ホヤという貝が名産らしい。
ホヤ!食べた事ないかも!
ホヤとツブ貝を3人でシェア。
美味しい~♪
私は、奥尻島名物(?)のなべつるカレー。
あとで訪れる予定の「なべつる岩」の形を模したカレー。
具材は、あわび・えび・ほたて・いか・たこ。
味噌汁とサラダ付き!
母は、贅沢にもウニ丼。
夕食もウニなのに!??笑
ちなみに祖母は、普通のソバ。(なぜ??笑)
天気が良ければ、テラス席で食べるのも素敵だ。
奥尻ワイナリー
奥尻島の東側から西側へ抜ける時に通る峠に、奥尻の美しい風景を見下ろせる展望台(球島山展望台)がある。
だけど峠は霧深くて視界が悪く…とても風景なんぞ見られそうにない。
という事で、華麗にスルー。
島の西側にある、「奥尻ワイナリー」へ。
奥尻ワインは、ブドウの栽培から醸造まで、全て奥尻島で行われ造られている。
工場見学もできるみたいだけれど、現在は新型コロナウィルスの影響で中止されている。
美味しそう~♪
「試飲も出来ますよ」と言われ、何か言いたげな目線で母を見る。
…だけど、母に色目使い作戦は通用しないみたいだ。
ワタルさんなら、私がアクションせずとも「飲みたいんじゃない?飲んでもいいよ、後は俺が運転するから」なんて言ってくれるだろうに。
(…ちっ)
飲めない代わりに、3人でワインアイスを食べる。
奥尻ワイナリーのワインは、港のお土産屋さん等でも買えるんだけど、ここでしか買えない限定ワインもある。
限定品に弱い私たち親子は、迷わず購入。
実は以前、奥尻ワインのロゼをお土産で頂き、それがとても美味しかったのだ。
それは限定でなない定番のワインだったので、今回は限定のも試してみよう。
後で飲んだ感想。
普段あまりワインを飲まず辛いワインが苦手な私でも「ちょっと甘いかな」と思う程の甘さだったので、普段ワイン嗜む人には「甘すぎる」かも。
私的には、以前にお土産で頂いた定番のワインの方が美味しかったかな。
奥尻島を含む「檜山地区」には「檜山観光パスポート」なるものがあるらしい。
このパスポートを提示すれば、「ちょっと特典がある」という施設もたくさんある。
奥尻ワイナリーでは、「奥尻の水」を特典で頂く。
奥尻島の奇岩巡り
せたな町でも巡った「奇岩」を、奥尻島でも巡る。
島の西側を南へ向かう途中、いくつかの奇岩を通りかかる。
カブト岩。
カブト!?
カブトかな…!??笑
お次は、「モッ立岩」。
由来
一人の未亡人が、この磯に岩ノリを採りに着てこの岩を発見。亡くなった自分の亭主のからだの一部にあまりに似ていたので、喜び懐かしみ、そのままの名を付けることに恥ずかしさを覚え、上の一文字を抜いて、「モッ立岩」と呼んだと言われています。
(立っていた看板より引用)
え!?ナニソレ!??
シモの話???笑
次は、ホヤ石。
ホヤ!さっき食べたやつね!
遠くに見える三角の島陰は、「無縁島」かな??
ちなみに、雨は大降りになっている。
母と祖母は、車内で見物。
私だけ、雨の中ずぶ濡れになりながら走って際まで行き、そして「パシャ」っとシャッターを押して走って車内に戻る。
母と祖母は、車内で大爆笑。
そこまで必死になって写真撮りたいの??爆笑
って。
奥尻島津波館
奥尻島の南端にあるのが、「奥尻島津波館」。
1993年の北海道南西沖地震の際、大津波がここ奥尻島を襲い、死者172名、行方不明者26名、被害総額約664億円の大災害となったのだ。
全体の被害は、死者202名、行方不明者28名という事だから、いかに奥尻島での被害が飛びぬけて甚大だったかが伺える。
北海道本土や東北北部では震度4~5で、奥尻島には震度計がなかったため、推定で震度6とされている。
津波の高さは、最高29m。(31mという説もある)
こんなに大きな地震だったのに、あまり語られる事がなく忘れ去られてしまったのは、この1年半後の1995年に起きた兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の方が遥かに甚大な被害だったから。
私も、この地震の発生当時は幼く、そしてその後の成長過程で地震について知る機会もなかった為、恥ずかしながら奥尻島訪問がきっかけで知ったのだ。
そんな、奥尻島の津波について学べるのが、この奥尻島津波館。
受付で、「ガイドは必要ですか?」と聞いてもらえる。
無料で、職員さんが解説をしてくれるのだ。
被害としては、島内でも奥尻津波館のある「青苗地区」が最も大きかった。
地震発生から約2~3分で、津波の第一波が西側から来て、島に被害をもたらした。
だけど、問題なのは第二波。
島を襲ったあとに北海道本土へと向かった津波は、なんと北海道本土にぶつかって跳ね返り、さらに大きな津波へと成長して奥尻島に戻って来たのだ。
第一波襲来から第二派までは、約10分。
高速船で片道2時間かけてきた距離を、ものの10分で往復したのだから、津波の移動速度は凄まじい。
震災前の青苗地区は、住宅が広がるエリアだった。
震災後の青苗地区は、何もない更地に。
そして、復興後は、この奥尻津波館を除いて建物は建てられない様になっている。
津波の被害と共に大変だったのが、火災。
午後10時17分、深夜に発生した地震。
一夜明けて朝になっても、火災の煙が島を包んでいた。
そして、何もない更地に。
辛うじて残った住宅もある。
火で燃える前の家屋を、火が移る前に故意に壊した事で、その家屋以降の家屋に被害が及ばない様にするという手法を取ったから。
この地震の10年前の1983年に起こった地震「日本海中部地震」の時は、地震の発生から津波の到着まで17分あった。
それを覚えていた島民は、今回もそれくらいだろうと推測し、車で避難。
予想が外れて2~3分後に来てしまった為に、車ごと津波にさらわれてしまった。
今は、歩いて逃げられる様に避難道が高台に向かって張り巡らされている。
また、奥尻島をドライブしていて気づくのが、防波堤の高さが場所によりバラバラだという事。
海が見えないくらい高い場所もあれば、低い場所もある。
それは、その場所にその高さの津波が来た事を表しているのだとか。
この光は、死者172名と行方不明者26名を合わせた198名の方を偲ぶ「198のひかり」。
また、津波館という名称だけれど、奥尻の古代からの歴史に関わる展示物もある。
この勾玉はヒスイ。
このサイズは日本では最大級で、頭に三本の線が入っているのが特徴。
丁字頭勾玉という。
3~6世紀の近畿地方で作成されていて、奥尻島で発見されたこれは6世紀以降のものと推定されている。
社会の権力者の権威の象徴。
この頃、北のオホーツク文化と南の文化の交流が奥尻島で行われていたのだとか。
奥尻島津波館の外には、慰霊碑「時空翔」。
ここから見下ろす青苗地区。
この津波館周辺は何もない。
奥尻島のシンボル|鍋釣岩
さきほどハートランドフェリーで到着した港の近くにあのが「鍋釣岩」。
昼間食べたカレーにそっくり!
「御宿きくち」で美味しいご飯
宿泊は、ごはんが美味しいと評判の「御宿きくち」さん。
フェリーターミナルを通り過ぎて、少し北に行ったところにある。
食堂で、黙食。
この宿のコロナ対策は、恐らく札幌でここまでやっている施設はないであろうと思う程の徹底ぶり。
島で大きな病院もないから、札幌や本土の人よりも敏感なのかもしれない。
昨日も食べたアワビ!
海鮮のお刺身と。
ウニ!うに丼!うに鍋!
とにかく、うに三昧!
2日連続で、贅沢だな~。
奥尻ブルーを模した奥尻サイダーを購入して、風呂上がりに。
そういえば、大雨の日に当たってしまって「奥尻ブルー」の海を見る事ができなかったな。。
お風呂は、男女別に1ヵ所ずつある。
家庭用のお風呂。
奥尻島の温泉は、島の西側に1軒あるだけなのが残念。
雨の日の奥尻観光
雨の日でも、美味しい海鮮物を食べて、ワイナリーや奥尻津波館を訪れる事ができたし充実した1日だった。
だけど、奥尻ブルーの海や絶景を楽しむなら、やっぱり晴れの日の方がいいかなーと思う。
マリンスポーツも活発みたいだし!
まぁ、年寄り同伴でどっちみちアクティブには動けないので、今回はこれで良かったのだ。
奥尻島津波覚えています。
その翌日、会社に行ったら同僚が
「昨日の夜、奥尻島付近震度5程度の地震があったニュースを見た後、被災のニュースがなかったので安心して寝た。
そしたら朝起きて大変なことになっていて、びっくりした」
と言っていた。
その彼女は神戸在住で、阪神大震災で家が半壊してしまったのです。
いやー、海産物天国うまそうすぎる。
sakaeさま
当時は、大変な騒ぎだったんですね。
北海道に住んでいながら、知らなかった事が恥ずかしいです。
夜はあまり大きな被害は確認されず、朝になって大変な事態が発覚したんですね。
地震発生が夜だった事もあり、津波の様子は映像や写真にあまり残っていない様です。
同僚さんも、神戸のご自宅が半壊とはお気の毒です。
北海道在住で幼かった私でしたが、こちらの災害については印象に残っています。
(被災した小学生の文集などを学校で読んだりもしました)
まさに、海鮮物天国でした。
1日目がアワビ三昧で、2日目がウニ三昧だなんて。。
旅行には非日常を求めることが多い離島マニアの自分には、なかなか興味深い記事でした。
流通コストの関係等で現地のものが本土に流通しにくいため、現地では海産物は時期によっては豊富なんでしょうね。
流通環境の厳しさは、住むとなると大変な部分も多いと思いますが、コロナが収まるまでいろいろ情報収集続けたいと思ってます。
NKさま
離島マニア!素敵ですね★
そうですね、現地で採れる海産物が主に振舞われるので、
行く時期によって違ったものを頂く事ができます。
離島は、暮らしは大変でしょうが、訪れるにはとても魅力的ですよね!